還暦男のつぶやき

自己満足のエッセイ

カーリングという競技(後編|少し品のない編)

前回カーリングについて書いたので、ついでに、北京五輪女子代表を見て常々思っていたことを書く。新年早々オヤジ目線からやや品のないことを書くかもしれないが、ご容赦を。

       

ここ何回か、冬季五輪で日本の女子代表の試合の人気が高く、テレビの視聴率も高く国民的な関心をひいている。その関心の原因は、日本女子代表の皆さんの魅力をカーリングという競技の中継が引き出している、つまり相乗効果があるからだと思う。その理由は以下の5点だ。

  • 冬季五輪の種目には珍しく、顔を覆うものが何もない。つまり、顔が前面に出る。
  • チーム人数が少なく、試合時間が長い。つまり一人当たりのテレビに映る時間が他の競技に比べて異常に長い。
  • ストーンを投げ入れる際に、テレビ画面では顔が正面からのアップになる。
  • 更にストーンを投げたあと、上目遣いになる。つまり、表情が魅力的に見える。
  • 音声マイクをつけて試合をしており、肉声が聞こえる。つまり、人となりが伝わる。

また今回の女子チームの選手は、皆さんもご存じの通り、魅力的な人ばかり。1~4は顔のことばかりだが、カーリングは、選手の肉声がそのままオンエアーされるので、5の声も魅力アップに一層拍車をかける。

今回の選手は北海道出身で、「そだねー」ということは、非常に心地良い響きだ。これが、私の出身の関西弁だとどうか。「せや、せや」「ちゃう、ちゃう」なんて言葉なら、こんなに人気が出ただろうか。

これ以上書くと、品のなさを一層露呈することになるので、今回は早々に筆をおこうと思う。