還暦男のつぶやき

自己満足のエッセイ

「実績」のある神社

私は神社に行くのは好きで、あちこちの有名な神社に行き、御朱印をもらうのをささやかな趣味としている。一人、飛行機を利用し日帰りで、大分の宇佐神宮や鹿児島の霧島神宮にも行ったこともある。   

     

でも神や建築のことはよく分からないので、ただ行って参拝するだけである。でも、きちんと整備された神社に入ると、ピンと張りつめた感じがして、気持ちも落ち着く。特に朝の人があまりいない時の神社は、何とも言えない快感だ。

こんな“エセ神社マニア“であるが、参拝時は特に御利益を得ようとか、そんな邪心はあまり沸かない。ただ手を合わせるということで、心が浄化されるような気になる。

ところで、先日久しぶりに東京に行く機会があった。その際、時間があったので、久しぶりに明治神宮に渋谷から徒歩で向かったが、その途中で「東郷神社まで360メートル」という行先案内板が目に留まった。

私は、昨秋まで10年以上東京で単身赴任していたので当時、あちこちの神社に行っていた。が、なぜか、東郷神社には行ってなかったし、そもそも、明治神宮の近くに東郷神社があることも知らなかった。(ちなみに乃木神社には何度か行ったが。)

ということで、せっかくなので、明治神宮の前に東郷神社に立ち寄ることにした。鳥居をくぐると池を横目に参道が。そして参道には「必勝祈願」ののぼりが、ずらーっと並んでいる。ご存じの通り、東郷神社の御祭神は、日露戦争勝利の立役者、東郷平八郎

あの日本海海戦を勝利に導いたんだから、実績は申し分がない。思わず、心が洗われるというより、東郷平八郎の実績にあやかろうと、今の生々しいお願いをしてしまった。「どうか〇〇〇がうまくいきますように・・・」と我欲むき出しで、幸運・勝利を願ってしまった。

神社の御祭神の多くは、古代の神、皇室関係、歴史上の権力者といったものが多く、私自身、畏敬の対象ではあったが、特にご利益を期待していなかった。歴史上の人物は、偉業を果たしても最終的には非業の死を遂げているケースも多いし、当時の政治的な匂いのするものも多く、「ご利益を・・・」という感じではない。

そう考えると、東郷平八郎は昭和の時代まで生き、天皇の教育係を務めるなど最後まで日本のために尽くした。「実績」だけを見れば申し分なく、これはもう、日本一の「必勝祈願」の神社。ここでだけは、我欲むき出しで参拝してもいいんじゃないか・・・。

同じ軍人でも、乃木神社ではこのような気分にならない。偏見かも知れないが、実績が違う。(もちろん畏敬の対象ではあるので、非礼はお許しください)

東郷神社での参拝後、明治神宮に行き、ここでは我欲を捨ていつも通りの参拝。私の中で東郷神社は、「勝負服」ならぬ、「勝負神」として大事にさせて頂ければと感じた一日だった。