還暦男のつぶやき

自己満足のエッセイ

M1に見る芸人と駅伝選手の共通点

しばらく投稿していなかった。理由は特になく、ただ単に書かなかっただけ。待ってくれている読者もいないだろうし・・・・。

 

とは言え、仕事も少し落ち着いた年末、自分の想いを久しぶりに書き留めたくなった。もう一週間近くなる前だが、M1を見た。実は、今までじっくりM1を見た記憶はあまりなく、新鮮な感じで見た。

 

見ていて感じたのは、日本の駅伝に似ているなあ と。M1はご存知の通り、4分間のパフォーマンスで評価される。審査員からも、「もう少し時間があれば、味が出たのにね」といったコメントも出てくる。

 

多くの若手芸人は、1年かけてこの4分間の芸に磨きをかける。中には、それに集中するあまり、他の筋力(芸)が鍛えられないため、これでいいのかと考え、敢えて挑戦を断念するコンビもいるそうだ。

 

日本の長距離選手は、学生時代に駅伝に注力するあまり、マラソンでは大成しないという話を聞いたことがある。私は陸上の専門家ではないが、あまり、短時間での結果を求めるのは、今後の可能性の眼を摘むのではないか。

 

私のような還暦を迎えた人間は、漫才と言えば、10~15分かけて、時には時には客との掛け合いも行いながら行うものという刷り込みがある。4分間の瞬発力、しかも決まったパフォーマンスを演じることだけに集中し続けるのは、本来の芸なのか。かつての夢路こいし・いとし師匠がM1に出たら、到底決勝には進めないだろう。

 

でも、M1である程度まで行くのが、今後の芸歴の上でも重要なの誰もが認めるところ。でも陸上の長距離界は、学生時代に実績がなくても、その才能を見つけ、育てる目利きがいる。漫才界にも、隠れた”マラソン走者”を見出して、売り出す仕組みもあっていいのでは。

 

私には、M1の漫才と劇場の漫才は、漫才と落語の差くらい、違うものに思えてならない。