還暦男のつぶやき

自己満足のエッセイ

大山選手に学ぶ「走姿顕心」の人生哲学

昨年のプロ野球は、我が阪神タイガースのアレに沸いた一年。今更、昨年のことをぶり返すつもりはないが、私が印象に残っているのは、日本一直後の大山選手に関する日刊スポーツの記事だ。

 

https://www.nikkansports.com/baseball/news/202311060000085.html

 

これは、以前のコーチの「走姿顕心」(走る姿に心が顕れる)という言葉を、肝に銘じているという内容。大山選手は、凡打でも一生懸命走ることが有名で、評論家も事あるごとに評価していた。本当に彼の人柄を言い当てた言葉だと思う。

 

ふと、この「走姿顕心」ということばに心ひかれた。私なら、「心」の代わりにどんな漢字が入るだろうか?いろんな字を当てはめて考えたが、私の場合は「笑」しかない。「笑う門には福来る」如く、「笑姿顕心」が私の人生のモットーにしよう!

 

ところで、知人にこの話をすると、「酒」だという声もあった。人それぞれだと面白く感じる。皆さんのならは、どんな漢字を入れるだろうか。自分探しの一環として考えるもよし、はたまた、酒の肴として皆で考えるのも良し。きっと有意義な時間になると思う。

M1に見る芸人と駅伝選手の共通点

しばらく投稿していなかった。理由は特になく、ただ単に書かなかっただけ。待ってくれている読者もいないだろうし・・・・。

 

とは言え、仕事も少し落ち着いた年末、自分の想いを久しぶりに書き留めたくなった。もう一週間近くなる前だが、M1を見た。実は、今までじっくりM1を見た記憶はあまりなく、新鮮な感じで見た。

 

見ていて感じたのは、日本の駅伝に似ているなあ と。M1はご存知の通り、4分間のパフォーマンスで評価される。審査員からも、「もう少し時間があれば、味が出たのにね」といったコメントも出てくる。

 

多くの若手芸人は、1年かけてこの4分間の芸に磨きをかける。中には、それに集中するあまり、他の筋力(芸)が鍛えられないため、これでいいのかと考え、敢えて挑戦を断念するコンビもいるそうだ。

 

日本の長距離選手は、学生時代に駅伝に注力するあまり、マラソンでは大成しないという話を聞いたことがある。私は陸上の専門家ではないが、あまり、短時間での結果を求めるのは、今後の可能性の眼を摘むのではないか。

 

私のような還暦を迎えた人間は、漫才と言えば、10~15分かけて、時には時には客との掛け合いも行いながら行うものという刷り込みがある。4分間の瞬発力、しかも決まったパフォーマンスを演じることだけに集中し続けるのは、本来の芸なのか。かつての夢路こいし・いとし師匠がM1に出たら、到底決勝には進めないだろう。

 

でも、M1である程度まで行くのが、今後の芸歴の上でも重要なの誰もが認めるところ。でも陸上の長距離界は、学生時代に実績がなくても、その才能を見つけ、育てる目利きがいる。漫才界にも、隠れた”マラソン走者”を見出して、売り出す仕組みもあっていいのでは。

 

私には、M1の漫才と劇場の漫才は、漫才と落語の差くらい、違うものに思えてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サザエさん」と「舞いあがれ!」

サザエさん症候群」。月曜日から始まる学校や仕事のことを考えて、日曜日の夕方から憂鬱な気分になることで、殆どの方が、子供時代から、また大人になってからも経験したことがあると思う。

私も昨秋退職するまで、数十年の長期にわたり「サザエさん症候群」に悩まされてきた。私の場合、日曜日の夕方ではなく昼頃から早くも心の中に雲が漂い始める状況で、「サザエさん症候群」ではなく、「のど自慢症候群」といったところか。あの最初の鐘の音が症状発生の合図だった。

でもこの症状、退職すると知らぬ間に雲散霧消と化した。私は退職後、ささやかに個人事業主として働くことにしたが、まだまだ仕事のオファーは少なく、仕事の上の悩みはあるものの自由度は高い。そのせいか、苦悩の程度は以前より低いため、曜日自体はあまり気分に関係しなくなった。

ということで、曜日と気分の関連がなくなった生活を始めて数か月経ったが、最近また、特定の曜日が苦痛に思えるようになった。それは何曜日かというと金曜日。ウイークエンドを迎えて、心がウキウキする日なのになぜか?

実は、NHKの朝ドラ「舞いあがれ!」のせいだ。金曜日の放送終了後、その続きが気になって、月曜日まで「舞ちゃん、どうなるのか・・・」と悶々としてしまう。ご存知のとおり、朝ドラの放映は月曜日から金曜日まで、かつては土曜日まであったが、働き方改革で土曜日はその1週間のダイジェスト放送になっている。

だから、金曜日の朝を迎えると、土日は悶々とせねばならないのかと少し憂鬱になる。この「舞いあがれ!」は、ストーリーもうまく練られ、関西に住む私にとって関西弁も心地よく、完全にドラマのとりこになっている。また、金曜日放送の最後に、視聴者の気を持たせるような翌週の予告もあり、一層、気持ちをイライラさせる。

つまり、「舞いあがれ!症候群」にかかっているわけだ。でもよくよく考えると、この症候群、翌月曜日には、すっかり解消されてしまう点が「サザエさん症候群」とは大きな違い。こんなのを症候群と言ってると「サザエさん症候群」の方から叱責を受けるかも知れない。

ということで、こんなことに気を使うより、春に番組が終了した後にやって来ることが確実な「舞あがれ!ロス」の対策を考えるようにするとしよう。

古都奈良のジョッギング散策

私は、ジョッギングを趣味として30数年経つ。かつてはフルマラソンを走ったことがあるが、もとも大して速くない上、フォームも悪く両膝半月板の手術をしたこともあり、今や散歩程度。走っている人を抜かすことはまずない。昨秋まで東京に住んでいた時も、週に一回、多摩川沿いを散歩の延長線上で毎週末走っていた。天気のいい早朝に富士山が遠方に見える景色は、本当に気持ちがよかった。

退職し奈良に戻り、少し時間的に余裕もできたので今は2回/週程度走ることにした。そして少し刺激も欲しくなり、10数年ぶりに3月マラソン大会(ハーフ)に臨むことにし、今少しずつ負荷をかけだしたところ。

そして先日、ハーフマラソンの私の目標タイムである2時間半を、距離は考えず走り続けることにした。今回は、その時々の景色や感じたことを紹介しながら、古都奈良を感じて頂ければと筆をとった次第。

この日は朝9時スタート、大寒波で西日本を中心に大雪の朝で、あまり雪の降らない奈良市内もうっすらと雪化粧。徐々に雪は溶けたが、とにかく寒いスタート。地元の川(富雄川)沿いに走ると、右手に霊山寺という寺を見ながら、ひたすら南下。途中、立ち寄りはしなかったが、先日「過去に例の見ない」剣や刀が発掘されたという富雄丸山古墳が近くにある。

富雄川沿いの霊山寺

その後、大和郡山城跡に向かう。この城は、豊臣秀吉の弟の秀長や江戸時代には柳沢吉保の居城となったところだが、城はなく今は公園となっている。歴史の奈良と言っても、城下町の風情を醸し出すのは、この辺くらいだ。

右側の塀が郡山高校

城跡の道を挟んだ反対側に県立郡山高校がある。かつては夏の甲子園でベスト4の実績もあり、ロッテの荻野外野手の母校でもある古豪だが、ここ20年以上甲子園には縁がない。公立高校で、天理・智弁の壁を崩すのは、もう無理かなあ。

せっかくなので、城跡に上り、奈良盆地を見渡す。遠方に雪の若草山が見える。ちょうどこの日の夜は、年に1回の山焼きの日であり、草を焼くところがきちんと整備されているのがわかる。(結局、この日は夜も雪が降り、1割程度しか燃えなかったとか・・・)

左奥に見えるのが若草山三笠山

そして城跡を後にし、秋篠川沿いに薬師寺唐招提寺を見ながら走る。御存知の方も多いと思うが、皇嗣である秋篠宮殿下の名前の由来は、この川の上流にある秋篠寺に由来する。この辺はサイクリング道でもあり、道が整備され、気候の良い時にここを走るのは実に気持ちがよい。また私の走力から言っても、この辺を走るときは一番気持ち時間帯だ。

左手に薬師寺が見える

秋篠川沿いを北上すると、平城宮跡にたどり着く。この平城京跡は、120ヘクタールあり、私が調べたところ甲子園球場の30倍以上の広さ。私が子供のころは、広大は草の広場という感じだが、今は朱雀門大極殿などが整備され少しずつ観光地としての体をなしてきつつある。

朱雀門 鹿はいません

10数年前にテレビドラマ「鹿男あをによし」で、主演の玉木宏さんが平城宮跡を歩くシーンがあり、そこに鹿が映っていた。でも鹿は奈良公園にいても、平城宮跡には一匹もいない。当時家族でこのドラマを見ていて、「なんでやねん!」と家族で騒いだことを思い出した。

数分に1回は走ってくる近鉄電車

朱雀門から、近鉄電車の踏切を渡って大極殿に向かう。遺跡の間に近鉄電車が横切っているが、県外の方にとっては、「遺跡の間を電車が走るなんて」と驚きのようだ。

平城宮内は通路が整備されているので自由に走ることができる。久しぶりに大極殿に入って玉座でも見ようと北端に向かう。この大極殿、無料で自由に入ることができが、入り口には警備員の方がいて、検温・消毒の指示あり。このだだっ広くて、開放された建物で、客も私以外に一組なのに・・・。まあ、文化庁の管轄だから仕方ないのだろうが、少し滑稽さを感じる。

奥に見えるのが大極殿

このころになるともうスタートから2時間経ち、私のカラータイマーもピコピコと鳴り始め、近鉄の最寄り駅から電車に乗って帰宅することにした。途中、真ん中にお地蔵さんがある交差点を通り、最寄りの大和西大寺駅へ。

地蔵と自動車が共存

大和西大寺駅」・・・聞かれたことも多いが、この駅前広場で昨年7月に安倍元首相の事件があった今は、駅前整備の工事中で、当時の面影は消えつつあるが、心の中で合掌をして駅へ。予定通りトータル2時間半のジョッギングを終了。

何とか防げなかったのか・・・

本日の走行キロ数は18キロ。「もう少し、鍛えないと3月のマラソンは苦労するなあ・・・」と感じるとともに、奈良の良さも感じた半日。皆さんもぜひ、奈良へお越しを。

徳川家康は「パンドラの箱?」「ルビコン川?」

 

私は社会に出てから、読んだ本のタイトルをノートにつけるようにし、現在はネットの「読書メーター」に遍歴をアップしている。社会に出てから35年以上経過していることもあり、約1800冊、途中、資格試験の勉強や仕事が多忙な時期もあったが、それを除くとおおよそ1週間に1冊のペースで読んできたことになる。

かつて行った日光東照宮「見ざる言わざる聞かざる」

別にこれくらいの読書など、世の中にはもっとすごい人がいるので、特筆すべきではないが、私のような飽きっぽい人間が、よくこれだけ読んだものだと、自分としては少々驚きだ。

読書法としては、若い時に何かの本で、「たくさん本を読むのなら、同時に複数の本を読むべき」との記事を読んだ。同じ本ばかりだと飽きるからだ。以降、私は併読を心掛けてきた。小説とビジネス書というように。更に、ハードカバーと文庫・新書というようにサイズも分けて、TPOで読む本を使い分けるようにもした。

でも、10年近く前から電子本(kindle)に変えてから、併読のしかたがもっと激しくなった。持ち運びの苦労がなくなったこともあり、4冊程度を併読することが普通になった。欲しいと思った本がamazonですぐ入手できることも冊数が多くなった原因だろう。

また、英語の原書も併読に加えるようにもした。といっても、私は決して英語ができる方ではないので、平易なものを、英語学習の一環として読んでいる。Kindleだと、わからない単語があっても、タップするだけで単語がわかるので、読みやすいからだ。

でも併読冊数が増えた最大の原因は、「集中力の減衰」だ。ネットの普及で、この20年くらいの間に、「人の平均集中力は12秒から8秒に縮まった」らしい。更に私の場合は加齢による集中力の欠如ということもあるだろう。若い時のように、一冊の本を夜遅くまでつい読んでしまう、ということはもうあり得ない。とっ換え引っ換え、読めばいいと思って割り切っていた。

でも、今年に入って、山岡荘八の大作「徳川家康(全26巻)」を読み始めた。退職して少し時間ができたら読もうと、20年以上も前から思っていたことを実行に移した。でも読み始めるにあたり、表現が適切かどうか怪しいが、自分としては「ルビコン川を渡った」「パンドラの箱を開けた」心境だった。

「今年中に読み終わらないのでは」「長期にわたって一つの作品を読み続けるスタミナがあるか」「登場人物を覚えきれるか」「他の読書の邪魔をするのでは」・・・・等々。

恐る恐る読み始めて3週間。他の3冊と併読しながらも、徳川家康だけで1冊/週のペースと今のところ出足は上々。さすが不朽の名作、読者を惹きつけて離さない。少なくとも今年の前半は、「徳川家康」を中心に、なんとか充実した読書生活を送れそうだと一安心している。でもまだまだ先は長い。「『徳川家康』を読み切る」 ささやかな今年の目標が一つできた。

「実績」のある神社

私は神社に行くのは好きで、あちこちの有名な神社に行き、御朱印をもらうのをささやかな趣味としている。一人、飛行機を利用し日帰りで、大分の宇佐神宮や鹿児島の霧島神宮にも行ったこともある。   

     

でも神や建築のことはよく分からないので、ただ行って参拝するだけである。でも、きちんと整備された神社に入ると、ピンと張りつめた感じがして、気持ちも落ち着く。特に朝の人があまりいない時の神社は、何とも言えない快感だ。

こんな“エセ神社マニア“であるが、参拝時は特に御利益を得ようとか、そんな邪心はあまり沸かない。ただ手を合わせるということで、心が浄化されるような気になる。

ところで、先日久しぶりに東京に行く機会があった。その際、時間があったので、久しぶりに明治神宮に渋谷から徒歩で向かったが、その途中で「東郷神社まで360メートル」という行先案内板が目に留まった。

私は、昨秋まで10年以上東京で単身赴任していたので当時、あちこちの神社に行っていた。が、なぜか、東郷神社には行ってなかったし、そもそも、明治神宮の近くに東郷神社があることも知らなかった。(ちなみに乃木神社には何度か行ったが。)

ということで、せっかくなので、明治神宮の前に東郷神社に立ち寄ることにした。鳥居をくぐると池を横目に参道が。そして参道には「必勝祈願」ののぼりが、ずらーっと並んでいる。ご存じの通り、東郷神社の御祭神は、日露戦争勝利の立役者、東郷平八郎

あの日本海海戦を勝利に導いたんだから、実績は申し分がない。思わず、心が洗われるというより、東郷平八郎の実績にあやかろうと、今の生々しいお願いをしてしまった。「どうか〇〇〇がうまくいきますように・・・」と我欲むき出しで、幸運・勝利を願ってしまった。

神社の御祭神の多くは、古代の神、皇室関係、歴史上の権力者といったものが多く、私自身、畏敬の対象ではあったが、特にご利益を期待していなかった。歴史上の人物は、偉業を果たしても最終的には非業の死を遂げているケースも多いし、当時の政治的な匂いのするものも多く、「ご利益を・・・」という感じではない。

そう考えると、東郷平八郎は昭和の時代まで生き、天皇の教育係を務めるなど最後まで日本のために尽くした。「実績」だけを見れば申し分なく、これはもう、日本一の「必勝祈願」の神社。ここでだけは、我欲むき出しで参拝してもいいんじゃないか・・・。

同じ軍人でも、乃木神社ではこのような気分にならない。偏見かも知れないが、実績が違う。(もちろん畏敬の対象ではあるので、非礼はお許しください)

東郷神社での参拝後、明治神宮に行き、ここでは我欲を捨ていつも通りの参拝。私の中で東郷神社は、「勝負服」ならぬ、「勝負神」として大事にさせて頂ければと感じた一日だった。

失われた「場」

NHKに「ドキュメント72時間」という番組がある。ご存じの方も多いと思うが、ある場所に取材陣が3日間張り込んで、そこに来る様々な人たちの人間模様を描くものだ。毎年末、その年に放映された中から視聴者が選ぶベスト10が午後の数時間かけて放映される。

(参考|https://www.nhk.jp/p/72hours/ts/W3W8WRN8M3/

先日のジョギング中の歩道の花壇の写真(本文とは関係ありません)

私は、年末はバタバタしているので録画しておき、年明けに少しずつ見ている。今年も年明けに録画を見ているがこの番組、実に味わい深い。採り上げられる場所は、大型模型店、仲間で作った北海道の露天風呂、ドライブインのうどんの自動販売機、看護学校、雪の津軽鉄道など様々。この番組を見ていると、ひとそれぞれ自分にとっての大事な「場」あるとつくづく感じる。

私には昨秋以来2つの「場」がなくなった。ひとつは、職「場」。定年を少し残し、自らの都合で退職し個人として仕事をすることにしたわけだが、40年近く、良い意味でも悪い意味でも当たり前のようにあった「場」がなくなった。

もうひとつは、かつて行きつけの焼き鳥店。昨秋まで東京で暮らしていた際、足しげく通ったお世辞にもキレイと言えない店。70歳後半の地域のみんなに愛された店主が年末に急死したために閉店。東京を離れたとはいえ、今後上京時に行こうと思っていただけに、悲しみは大きい。

ということで、どんどん自分にとっての大事な「場」がなくなっているような気がする。今年は故郷で反転攻勢をかけ、新たな「場」との遭遇できることを期待している。